歌舞伎同好会へのお誘い
歌舞伎同好会ってどんな会?

2009年末、DF会員の、歌舞伎に触れてみたいという機運が高まって、歌舞伎同好会が誕生しました。2010年1月の第一回観劇会以来、コロナ禍の3年間の中断は有りましたが、歌舞伎と深い関係のある文楽の観劇もプログラムに加え、年3回の観劇会と観劇後の懇親会を開催しています。観劇会は、2025年5月で54回を数えました。
当会は、会員の皆様に、気軽に古典伝統演劇としての歌舞伎・文楽を愉しんでいただく機会を提供致します。懇親会では、その日の芝居の合評や歌舞伎知識のレクチャーを、また事前に、観劇資料の提供等で会員の歌舞伎・文楽への理解のお手伝いをしています。
当会は、DF会員のご家族の同伴参加を歓迎しています。
歌舞伎ってどんなもの?
歌舞伎は、古典演劇芸能とか伝統演劇芸能と呼ばれます。17世紀、江戸時代初期から明治半ばまで、その時代の社会を反映し、絶えず変化し進化する現代演劇として、江戸と上方の町民の最大最高の娯楽でした。
明治維新を契機にして、西欧近代演劇が怒涛の如く流入する中、歌舞伎は、その存亡をかけて試行錯誤しましたが、明治末に、自ら変化することを止め、古典化することで生き残りを図り、今日に至っています。
古典化とは江戸時代から300年弱の間に蓄積されたものを整理整頓し洗練化する、即ち様式化することです。その結果、歌舞伎は江戸時代の町民文化の生きた博物館として、今日多くのフアンに支持されています。
現在、歌舞伎の上演は、松竹による興行公演と独立行政法人日本芸術文化振興会による保護育成を目的とする古典歌舞伎の公演の二系統になっています。当会は会の趣旨からして後者の公演を主として観劇しています。
古典歌舞伎(伝統的な演技演出方式によって上演される歌舞伎)は2008年にユネスコ「無形文化遺産」に指定されました。

文楽ってどんなもの
「文楽」は日本の伝統人形芝居の一つです。本来は「文楽座の人形浄瑠璃」の意でした。現在は大阪に本拠を置く公益財団法人文楽協会が上演する人形芝居の代名詞です。

「文楽」は17世紀の前半、歌舞伎と同時代に、語り物芸の浄瑠璃、傀儡子由来の操り人形芸、三味線音楽の三つの芸が融合して京都で発祥しました。1684年竹本義太夫が、大阪道頓堀に竹本座を旗揚げし、近松門左衛門の傑作を上演して飛躍的に発展し、18世紀中頃に黄金期を迎えました。その勢いは歌舞伎を凌駕し、人形浄瑠璃の人気作品は、次々に歌舞伎化されました。現在三大歌舞伎と呼ばれる「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」は全て人形浄瑠璃が歌舞伎化されたものです。
18世紀後半から衰退に転じ、19世紀前半に、淡路島出身の文楽座によって、それまでの作品の上演を専らとするようになり古典化しました。文楽座は明治の混乱期を乗り越え、古典としての人形浄瑠璃を伝え、松竹の所有を経て、1963年文楽協会に継承されました。
文楽は、2008年にユネスコ「無形文化遺産」に指定されました。
歌舞伎を観るってどんなこと?
歌舞伎・文楽を観ると言う事は、江戸時代にタイムスリップすることです。舞台と観客席は江戸時代の仮想空間です。舞台で展開される義理と人情の相克に涙を流し、悪を懲らしめるヒーローに喝采し、勧善懲悪に胸をなでおろし、奇想天外のドラマに心躍らせます。
劇場の外に出て思う事は「江戸時代も今も、人情には変わりがないなー」です。江戸時代の庶民と現代の我々を結ぶ「共感」です。
歌舞伎や文楽を観ることは。江戸時代から今日まで「何が変わって、何が変わらなかったか」を知ることです。歴史を経ても「変わらないもの」こそ、伝統とか伝統文化ではないでしょうか。
私達は、歌舞伎・文楽が、後世に継承されていくことを願っています。
伝統芸能を保護し、継承していくためには、演じる人の存続と同時に、観る人の存続が必須です。当会は観る人の役割を果たしたいと考えます。
観劇後の懇親会を催します
観劇後は自由参加の懇親会を催します。同伴のご家族も参加いただき、懇親の輪が広がります。




歌舞伎同好会への御問合せ
本会への御問合せ。歌舞伎・文楽についてのご質問は以下にお願いします。
yasukomura@gmail.com 代表世話役 神村安正(こうむら やすまさ)