| 登山日 | 7月30日(木)~31日(金) |
| 天 気 | 曇り時々晴れ、風強し |
| 山 域 | 北アルプス後立山連峰 |
| 参加者 | 5名 |
今年の夏は久々に北アルプスでもとの声に応えて、後立山連峰の玄関口である信濃大町から扇沢を経て針ノ木雪渓を登り、針ノ木小屋を拠点に針ノ木岳と蓮華岳を登る計画をたてた。
参加者は5名、
柳瀨、正田、成田、江村、古屋(敬称略)
30日の天気が悪かったため針ノ木岳は割愛し、31日の蓮華岳往復のみとなった。

針ノ木雪渓と蓮華岳について
針ノ木雪渓
針ノ木雪渓は、北アルプスを代表する雪渓の一つで、信州側から立山連峰への最短ルートとして古くから利用されてきた「針ノ木峠越え」の途中に位置する。江戸時代には、加賀藩が塩や海産物を信州へ運ぶために用いた「針ノ木古道」がこの峠を越えており、塩の道の一つとして知られている。雪渓の名称は、峠付近に自生していたハイマツ(針葉樹)に由来するとの説が有力である。
かっては夏でも広大な雪渓が残り、アイゼンを使って登る北アルプス入門の山として親しまれていた。しかし近年は温暖化の影響もあり雪解けが著しく進み、今年は7月下旬には完全に夏道となっていた。雪渓歩きは無くなったものの、ガレ場や鎖場が続くため以前とは異なる意味で慎重な歩行と、より体力が求められる難度の高い登山道である。
蓮華岳
標高2,799メートルの蓮華岳は、針ノ木峠を挟んで針ノ木岳の東に位置し、北アルプスでも有数の高山植物の宝庫として知られている。特に山頂付近に咲くコマクサの大群は全国的にも有名で、7月中旬から8月上旬にかけて多くの登山者を魅了している。
山名の由来には諸説あるが、周辺との山並みを蓮の花に見立てその中心の山であることが山名の由来であるとの説や、山頂付近に咲く高山植物が蓮の花のように美しかったことから「蓮華岳」と名付けられたとの説がよく知られている。また仏教で極楽浄土を象徴する蓮華になぞらえたとも言われている。頂上には信濃大町にある若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の奥社が祀られている。
晴天時には、剱岳や立山連峰、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、さらには遠く槍ヶ岳・穂高連峰まで望める360度の大展望が広がる。しかし今回の山行では雲に遮られ、雄大な景色を楽しむことは出来なかった。それでも、可憐に咲くコマクサの大群は期待通りで、我々の目を十分に楽しませてくれた。
山行報告
今回は天気判断に悩んだ山行だった。一週間ほど前から「てんくら」「ヤマテン」「お天気ナビ」などの情報を確認していたが、なかなか厳しそうな予報が続いていた。
29日に信濃大町に入り武蔵丘山の会鹿島山荘に泊まった時点では、30日が高曇り、31日は高曇り後晴れの予報であった。しかし実際には29日の晩から30日早朝にかけてかなりの雨が降り、中止するかどうか最後まで悩まされた。それでも気象情報や現地の状況を踏まえ検討した結果、予定通り山行を実施することとした

30日(木)午前5時に鹿島山荘を出発し扇沢に向かう。天気は高曇りで時折小雨が舞う生憎の空模様となった。扇沢を6時過ぎに出発。針ノ木雪渓は事前の情報通り殆ど雪が無く、登山道は完全に夏道となっていた。鎖場やガレ場が連続する急登は想像以上に歩きづらく、滑落すれば大惨事につながる。
一歩一歩慎重に足場を選びながら進んだため予定より時間がかかったものの、全員が落ち着いてペースを守り、13時、無事に針ノ木小屋に到着することが出来た。
当初は小屋に荷物を置いて針ノ木岳を往復する予定だったが、天気が悪く午後からは落雷の危険も増すので、割愛することにした。

31日(金)この日も高曇りではあったが、前日より天候はやや回復傾向にあり、午前5時40分過ぎに蓮華岳に向けて出発した。いきなりの急登で息が切れるが、そこを超えると緩やかな道が続く。小さなピークを越えて暫く進むと蓮華岳の頂上に到着、記念写真を撮る。
残念ながら北アルプスの大展望は望めなかったが、今回楽しみにしていた可憐なコマクサの群落が迎えてくれた。厳しい環境の中でも力強く咲く姿は実に見事で、疲れを癒やしてくれるひとときであった。
針ノ木小屋に8時前に戻り、いよいよ下山に入る。夏道の下りは登りに増して危険で、鎖場のような危険な箇所より、何気ないガレ場や急な砂地での転倒が事故に直結するケースが後を絶たない。疲労が蓄積する下山時こそ事故が起こりやすいことを改めて実感し、お互い声を掛け合いながら慎重に歩を進めた。
13時30分、ようやく扇沢に到着したときには一同安堵の表情を浮かべ、無事に歩き通せた喜びを分かち合った。その後は大町温泉郷の薬師の湯で汗を流し、ささやかな打上げを行なった後、それぞれ帰路についた。










今回は期待していた雪渓歩きが出来ず展望にも恵まれない山行となったが、険しい夏道を励まし合いながら歩き切り、全員が事故なく無事下山できたことこそが最大の成果と言え、心に深く残る充実した月例山行となった。


以 上(古屋直樹)