将棋とAI

盤讃会(将棋同好会)の鈴木謙一会員がAIの登場で変質しつつある将棋の世界について考察したエッセーを前編、後編にて掲載します。このエッセーは、鈴木会員が Writers Studios という元NHK英会話講師で高名な田崎清忠先生(94歳)が主宰される エッセイ発表の場に2回にわたって投稿し、DF盤讃会のメンバーも共有していたものですが、その後、これと同様の話題が朝日朝刊文化欄、更に日経一面トップ記事でも取り上げられたのを受け、広くDF会員に鈴木会員のエッセーを共有させて頂こう、ということになったものです。
エッセーの趣旨
将棋はAIの進化により劇的に変化し、棋士は勝利のためソフトの評価値に依存するようになった。創造性や思考力の低下が懸念される中、藤井聡太七冠は人間の直感や表現力でAIを超える可能性を示している、ということで、人としての思考力を大切にしたい、という鈴木会員の思いが綴られています。
エッセー前編
藤井聡太名人・竜王(七冠)の大活躍もあり、将棋は今や囲碁を遥かに凌ぐブームになっているようだ。(2023年の将棋人口460万人に対し、囲碁人口は120万人。「レジャー白書」)将棋を生涯の趣味としている私も嬉しく思っている。
将棋は400年の歴史を持つ日本の誇るべき伝統文化であると共に、老若男女が誰でも手軽に楽しめる大衆的娯楽であるが、半面、奥の深い頭脳ゲームで、最近では小中学校の授業にも採り上げられ、思考能力を養うと共に、礼儀作法を学ぶ機会にもなっている。高齢者にとっても、頭や指を使い、社交の場にもなるので是非お勧めしたい。
時折、将棋とは無縁な友人から「プロ棋士は何手先まで読むのか?」と聞かれることがある。
プロ将棋界は文字通り天才の集まりであり、棋士は読もうと思えば100手でも200手でも読めるそうであるが、全ての可能性を虱潰しに読む訳ではなく、幾つかの候補手の中から直感で浮かんだ最善手と思われる手に絞って精査してゆく。その直観力が「筋」と言われるもので、良し悪しにより「本筋」とか「芋筋」と呼ばれる。昔から棋士達は苦しい修行や往年の名棋譜の徹底的な研究により、「本筋」を会得して上達してきた。「筋」が良い棋士程、最善手を発見し、勝率が上がる訳である。嘗ての将棋界では経験値に勝るベテラン棋士が若手より優位だった所以である。ところが近年、AI将棋ソフト(以下「ソフト」)の目覚ましい発達により、将棋界に革命的な変化が起きている。
将棋は情報(お互いの指し手、持ち駒、盤上の配置)が全て開示されている「完全情報ゲーム」であり、麻雀のように偶然性が介入する余地が無く、理論的には全ての可能性を完璧に読み尽くせば負ける事は無い(引き分けはあり得る)が、組み合わせは「10の22乗」という無限大に近い数なので、如何に天才棋士でも読み尽くすことはほぼ不可能である。そこで棋士達は計算が得意なソフト(1秒間に数百万手~1千万手読める)を活用して従来では不可能だった領域まで研究出来るようになった。今や現代の棋士にとってソフトは必要不可欠な商売道具となっているが、半面、危険な陥穽も潜んでいるのではないだろうか。
将棋ソフトのプログラム開発が始まったのは半世紀前、1970年代の中頃で、当時はアマチュアレベルが精々であったが、2017年、当時の佐藤天彦名人が将棋ソフト「Ponanza」に敗れて棋界に激震が走った。以後、AIとプロ棋士の対戦は行われておらず、棋士達はAIを練習や思考のツールとして利用するようになった。初期段階(AI以前)では、開発者は過去の実戦例をコンピュータに記憶させ、棋譜パターンの有利さを評価する評価関数を手作りしており、コンピュータが自動学習するには至っていなかった。その後、AIの飛躍的進歩により、ソフト同士で対戦を繰り返して多くの棋譜を作成し、AI内部でプログラムを強化するようになり、今では人間の力を借りずにAIが自力で定跡すら編み出すに至っている。
有名な「エルモ囲い」、「ポナンザ囲い」、「ミレニアム囲い」はソフトが創り、棋士にも採用されている程、優秀な戦法である。
プロ棋士達がソフトを使って研究するようになった結果、彼らが重視するのは「ソフトの評価値」であり、最早「筋」ではなくなった。序盤戦は選択肢が限られているので棋士達は事前にソフトで調べてきて、AIの評価値の高い戦法を採用する。変化球を投げると直ぐにソフトが解析し、弱点を発見されるので皆似たような将棋になりがちなのである。戦法の範囲が狭まるのに伴って将棋が単調、淡泊になったのは否めない。序盤の形はお互いにソフトを使った事前研究により全て暗記し、熟知しているので時間を使わずにスイスイ指し、中盤から本格的に将棋が始まる。その前に道を外せば必敗ということになる。
ソフトの出現以前、序盤戦は棋士達の創造と思考の勝負だった。形勢が分からない中で、自分で一手一手を考えて指す為、持ち時間を消費するので、中終盤では残り時間が少なく、二転三転して熱戦が生まれ易かった。戦法のバリエーションも豊富であり、個性豊かな生身の棋士同士が盤上で死闘を繰り広げるところに「人間臭さ」があり、ドラマが生まれ、ファンを魅了したものである。手段であったAIが僭越にも、「人間同士が指す将棋の本質的な面白さ」の根幹を揺るがせているとも言えるのではないか。ベテラン名棋士達も「ソフトに依存することによって、自分の頭で考えるという習慣が無くなり、将棋の地頭が弱くなっているので、ピークアウトが早く訪れる」(渡辺明九段)、「僕等は自分で考えざるを得ない有難い時代を生きてきた。ソフトで考える今なら考えていなかった。」(郷田真隆九段)と指摘している。彼らは過度にソフトに頼る結果、本来人間の持っていた素晴らしい能力(特に思考力)が衰えてゆくことを危惧しているのだろう。
藤井七冠も当然ソフトを使ってはいるが、彼の凄さは時としてソフトの思考すら凌駕することである。最近はプロの実戦中継中に、ソフトによる評価値(形勢判断)と共に、1手毎に候補手が示される。棋士が指す前にソフトが答えを出すので、観戦しているアマには面白いが、対局者は大変だろうと察せられる。藤井七冠の場合、往々にしてソフトの示す模範解答以上の手を指し、解説者を唸らせることがある。構想力(質)においてソフトを超えているというべきだろう。天才中の天才たる所以である。私は藤井七冠に人間の可能性を見出し、救われる思いがする。藤井七冠に続く棋士の出現を期待して止まない。
蛇足ながら、我々一般の愛棋家にとっては雲の上の世界で、私自身、AIとは無縁な昔ながらのアナログ将棋を楽しんでいる。
AIの発達は我々の想像を遥かに超え、最新の生成AIは論文でも、小説でも、作曲でも、難なく人間以上の出来栄えを示すというが、果たして喜ぶべき現象なのか。自分で考えずに安易にAIに解を求めてしまうのは棋士だけではない。人間の特権である「考えること」までもAIに奪われてしまってはパスカルも泣こう。悪用する倫理観の欠如した人間に責任はあるが、生成AIは屡々(しばしば)本物に見紛う偽動画や偽情報も拡散し、人間から「真贋を見極める能力」まで奪おうとしているのではないか。
AIの脅威に対抗するには、人間自身の思考力を強化するしかない。その為にはスマホ(ネット)情報だけに偏らず、紙媒体(新聞、書籍)を通じて活字を読み、自分の頭で咀嚼し、理解し、考えるという習慣が大事である。最近は活字離れが顕著だと言われる。総務省の調査によれば、一般新聞紙発行部数は2000年の4,740万部から2024年には2,494万部に半減、全国書店数は同じく21,500店から7,620店へと65%も減少したとのこと(総務省「家計調査」)。「ネットにより、人間は情報を得て教養を失った」とは名言である。
将棋と同じく読書を趣味とする私も大変残念な思いである。
以 上 前編(鈴木謙一)
【参考文献】「証言 羽生世代」(大川慎太郎)
「AI新世 人口知能と人類の行方」(小林亮太、篠本滋) 他
エッセー後編
先月の Writers Studios に「将棋とAI」と題するエッセイを寄稿させて頂いた。
進化したAIが400年続く我が国の伝統文化である将棋を変質させ、担い手である棋士の思考力まで退化させる懸念も指摘されており、将棋の世界に限らない今日の課題であるとの趣旨であった。
今朝の朝日新聞「文化欄」に「表現者・佐藤天彦 心躍る指し手を」と題する記事を読み、AI全盛期にこんな棋士もいるのだと感銘を受けた。既にお読みになった方も多いとは思いますが、大変印象に残る記事でしたので、ここにご紹介させて頂きます。
【佐藤天彦九段紹介】
1988年生(37歳)。福岡県福岡市出身、中田功八段門下。2006年にプロデビューし、2016年の将棋名人戦で羽生善治名人を破って名人位を獲得、2017年(稲葉陽)、2018年(羽生善治)と3期連続でタイトルを守ったが、2019年、豊島将之八段に敗れて失冠した。2017年、名人時代に第2期将棋電王戦(プロ棋士とコンピューター将棋ソフトとの非公式棋戦)に出場したが、ソフト(Ponanza)に2連敗を喫し、将棋界に衝撃が走った。以後、電王戦は開催されていない。
音楽やファッションも愛好する佐藤は、仲間内で「貴族」というニックネームで呼ばれているダンディな棋士である。
朝日の当該記事は「勝つためだけに戦うのか、勝利と表現の両立を図るのか、勝負事であり、伝統文化でもある将棋を生業とする棋士達は今、相反する価値観の間で揺れながら戦っている。」から始まっている。
勝負師である以上、棋士達は先ず何よりも「勝つこと」が求められるが、次なる前提で2派に分かれる。多数派は「勝つ可能性の高くなる手を指す」一方、少数派は「自分の指したい手を指す」。佐藤九段は後者の代表格であるとされる。
価値観の分離は2010年代中期以降のAIによる技術革新で深化した。差し手が瞬時に数値で評価される研究を常態とする中で、棋士間に「評価されない手を指せば負ける」という意識が共有された。勝利の価値は不変だが、昭和~平成期の盤上には個性や芸術性を指先に託す余地が現在より確実にあった。棋士の実存に関わる領域は、人ならざるもの(AI)の登場により狭小化した。
そんな風潮に疑問を感じた佐藤は2年前、大胆な棋風改造を断行する。AIが評価する「居飛車党」から、AIは評価しないものの、独創性を発揮し易い少数派の「振り飛車党」への転身である。AIに席巻された合理の世界でも表現者でありたいと願うことは
戦線脱落のリスクを孕むが、自己のアイデンティティを取り戻した佐藤は勝利を重ねた。今年4月、佐藤は優れた新戦法や新手を指した棋士に贈られる「升田幸三賞」を受賞した。昨年の名人戦リーグ(A級順位戦)・豊島九段戦で初採用した「天彦流☗6六角型向かい飛車」が受賞理由だった。
AIによる解析ではなく、幼少時から盤上で膨大な研鑽を積んだ人間の思考が新たな可能性を示す価値は、将棋にとどまらない、「現代へのアンチテーゼ」でもある。
棋士の天職である将棋を「人ならざるもの」に委ねるのではなく、飽く迄も自分の思想、感性で貫こうという佐藤の心意気や良し。佐藤の一層の活躍と彼に続く棋士の誕生を願って止まない。
以 上 後編(鈴木謙一)