第87回の例会は、2024年7月17日(水)対面+Zoomリモートのハイブリッドで開催し、対面で7名、オンラインで3名が参加しました。
今回の報告は早乙女会員からの「ヴェトナム中部を旅して ~フエ、ダナン、ミーソン遺跡、ホイアン ~」で、早乙女氏ご自身がツアーを団長として企画され、日本人にはあまり知られていないヴェトナム中部地方を9月に旅された旅行記を1時間余りご報告いただき、その後皆さんから活発な質疑が行われました。
例会の最後に、今回より新しく本研究会に入会された鈴木良三さん(1476)より、自己紹介と海外旅行への想いなどをお話いただきました。鈴木さんは今井会員が所属するゴルフクラブでのワインバーがご縁でDFに入会され、日本最高齢でアルバトロスを達成されたゴルフの達人でもあります。
例会後の懇親会は、前回に続き発表テーマ国の料理を味合うという企画で、有楽町駅至近のヴェトナム・レストランで昼食会を行い、7名が参加しました。珍しいヴェトナム料理に舌鼓を打ちながら、報告会では語られなかったヴェトナムの裏話や参加された会員の想い出話などで大いに盛り上がり、あっという間に2時間が過ぎ、大変楽しい集いとなりました。
次回例会は発表者を募集中ですが、今年の後半頃を予定しております。
どうぞお楽しみに!
海外旅行研究会に関心のある方は、是非、世話役(山本明男)までご一報ください。
<問い合わせ先 a11389y@gmail.com 山本明男>
以 上(山本明男)
「ヴェトナム中部を旅して」
~ フエ、ホイアン、ミーソン遺跡、ダナン ~
早乙女 立雄
ヴェトナムには何回旅行しても、また行きたくなるのはなぜだろうか?
日本の企業からヴェトナムへ転勤になり、数年暮らした後に赴任期間満了後も日本に戻らず、そのままヴェトナムに永住してしまう人も多くみられるのは、なぜだろうか?
ヴェトナムを好きな日本人は多い。社会主義共和国であるヴェトナムは、日本人にとって何の違和感もなく、楽しく過ごすことが可能である。夜も日本と同じように治安が良い。
今回、ヴェトナムの魅力を探りながら、ヴェトナム戦争の際、南部と北部がぶつかる戦場となったヴェトナム中部地方を改めて訪問した。
中部地区の古都フエは、1945年までグエン王朝などの国王が治めた都であったが、ヴェトナム戦争の跡が今でも残る歴史的遺跡や建造物、国王の宮殿や帝陵などが、数多く 点在している。
貿易交流の商業都市ホイアンには、江戸幕府の鎖国令が発布される前までは、日本人のみならず諸外国の商人たちが、集って来ていた。一時は1000人以上の日本人街もあったそうだ。日本人が作った屋根付きの「日本橋」が今でも残っている。 田んぼの中には日本人の墓地もあった。ヴェトナムの通貨単位「ドン」は、日本の寛永通宝等の銅銭がルーツである。銅銭をヴェトナム語で発音すると、ドンティエン ⇒ ドン になった。
世界遺産のミーソン遺跡は、4世紀後半チャンバ王国が栄えた山岳の高原の里にあった。レンガ造りの建築物はかなり劣化してきているが、繫栄した往時をしのばせる。
ダナンは、ヴェトナムの第三の都市である。その発展のすさまじさは大変大きく、毎年街の様相が大きく変化していることに、驚きを感じる。
最後に、旅行中に起きた「パスポート紛失事件」について報告する。
今回は親しき仲間8名によるグループ旅行であったが、旅行中二日目の夕方、団員の一人が「パスポートを紛失した」と申し出てきた。飛行機(国内便 ハノイ ⇒ フエ)の中に多分忘れて来たらしい? とのことであった。
色々な関係筋に問い合わせをしたり、相談を試みたが、紛失したパスポートが出てくる見込みは全くなく、絶望的な色合いが極めて濃厚になって行くばかりだった。 最悪の場合、団員の若い女性が一人残り、ハノイへ電車で戻り、日本大使館で再発行してもらわねば帰国できない。 我々を乗せた専用バスは、当初の予定の行程通りに進行して行ったが、バスの中は非常に重い空気に包まれていた。
しかし、4日目の昼前に、旅行代理店等の関係者のお陰で、ハノイ空港に待機中の飛行機の中から、そのパスポートが発見されたとの連絡が、ダナン方面に向かうバスの中へ伝えられた。問題は、最終日5日目の夕方までに、ダナン空港へ行く前までに、そのパスポートが本人にいかにして届けられるかであった。
ところが、関係者の方々の献身的な連携プレーにより、帰国する日の夕方、ダナン空港へ向かうバスの中に、紛失したそのパスポートが無事に届けられ、彼女の手の中にしっかりと握りしめられた。
バスの中は、大歓声と共に大きな拍手、拍手、拍手、そして涙、涙、涙・・・・
【 感恩(Cam on )! 】 Thank you !
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