『峠道探訪』*碓氷線が走った峠を越えた鉄路『アプトの道』
実施日;2024年4月18日(木) 曇り
参加者;9名(敬称略) 真弓、成田、立石、正田、中重、中村、古屋、江村、戸田
9時30分信越線横川駅に集合。曇り空と黄砂の為ぼんやりとした景色であるが、9名元気よく出発。今回の定例登山は毎年桜を見る計画をしてきたが、信越本線の廃線跡(アプトの道)を散策することにした。登山としては物足りないとは思うが、鉄道遺産を見ながら新緑の中を歩くのもいいのかと思い計画した。
この鉄路は横川~軽井沢⒒2km、1893年(明治26年)1年半の工事。標高差552.5メートル、66.7パーミル、26のトンネル18の橋梁、約2,000万個のレンガを使用。1912年(明治45年)アプト式電気機関車を使い始め、1963年アプト式では速度が遅いという事で新線ができ104年のアプト式の歴史を閉じ、更に新幹線の施工で1997年は廃線となる。
その鉄路のうち横川から熊ノ平までが散策路となっている。アプトの道はその中の横川、熊ノ平の間の道。新緑の中ところどころにまだ咲いている桜を見ながらあるく。昔の大勢の人によってつくられた厳しい鉄道のあとを見ることになる。
最初に旧中山道の碓氷関所跡を見る。わずかに門が残っているだけであるが箱根の関所と並ぶ日本三大関所の跡ということが解かった。
1000メートル歩くと66m上るという道、そんなに急勾配とは思えないが振り返ってみると相当の坂だということが解かる。道端には春のツクシ、オオイヌフグリの花、そして左側には奇妙な形状の妙義山を望むのんびりとした道。
大正元年(1912年)の電化時に必要だった旧丸山発電所の建物を見る、蓄電池室と機械室からなるレンガつくりの建物で案内板を読むとその由来が書かれており昔の人の偉大さを感じた。
10:25分「峠の湯」に到着、下山時によるところなので挨拶をしてきた。
こからが『アプトの道』の主コースになる。両側には紅葉の木が多く秋は素晴らしい。 紅葉のトンネルになるのでは。みな雑談をしながら1号から10号のトンネル、1号から6号の橋梁のある道で徐々に高度を上げていく。碓氷湖を左手に見ながら進むと目の前にニホンカモシカが現れた。小型なので子供かもしれない。我々をじっと見ているだけで逃げようとはしない。慌ててスマホで写真を撮り始めた。好奇心の強い動物で別れを惜しむように時々振り返りながらゆっくりと山の斜面を登って行った。
5号トンネルの少し前で植物観察を行っている人に会った。ミミガタテンナンショウという花を教わる。いわゆるお化け草と言われる花で、この花は軽井沢までには3種類全国では50種類もある物だそうです。
5号トンネルを抜けるといよいよ碓氷最大の橋梁「めがね橋」。
最大高さ31メートル、長さ91m、200万個以上のレンガでなる。日本最大の4連アーチ式鉄道橋優美な佇まいが峻嶮な峠の大自然に美しく映え、上から見ても素晴らしいものだった。下からもみようと旧18号線までおりて眺める。
見上げるとその偉容は圧巻であった。国の重要文化財に指定されている。
6号トンネル、碓氷最長のトンネルで546メートルある。その掘かたは両側から掘るとともに横からも掘り進めたという横坑があったり、天井に開けられた立坑から光がさしていた。
峠の湯から1時間30分終点の熊ノ平に到着。この先のところには明治の単線、昭和の単線と複線、大正期に作られた引き込み用の4つのトンネルの入り口がぽっかりと並んで見える。
昼食をとって戻ることになる。途中碓氷湖に寄る。ダム湖で深い谷をせき止めてできた湖であるが紅葉時期は素晴らしい景観になるのではないかという印象であった。
14:00峠の湯到着、温泉に入ってからいつもの通り楽しい宴会、話が弾み大いに盛りあがった。
鉄道マンが立ちはだかった碓氷峠に築いた鉄道遺産を訪ねたもので歩行距離13キロ、標高差440m、登山としては物足りないものであったが鉄道の歴史の一端を垣間見た登山であったと思う。
以 上(戸田邦男)