50回目を迎えた観劇会を、23名の会員とご家族の御参加を得て持ちました。
昨年末の国立劇場の閉場後の日本芸術文化振興会の歌舞伎公演は、新国立劇場中劇場で新春公演の幕が上がりました。当日は楽日に加え、臨時の手荷物検査もある騒がしさの中で劇場の扉をくぐりました。確保された席は上手のかぶりつきで先ず満足でしたが、劇場の雰囲気が旧劇場と違うのに気づきました。「花道」が無いのです。花道があれば一階の客席はフラットになり、奥行きも限られますが、新劇場の客席は階段式で奥行きも、ぐっと深く感じます。二階席は遥か向こうです。是から先の5~6年の不確定時間に、花道、せり上げ、スッポンの無い歌舞伎は成り立つのか、古典の伝承は果たされるのかと心配になり、国立劇場建て替え中止にならないかなと思ってしまいました。
出し物は、「梶原平三誉石切」と「蘆屋道満大内鑑 葛の葉」の義太夫狂言と「勢獅子門出初台」の舞踊劇の組み合わせです。二つの狂言はいずれも全五段の義太夫狂言の「世話場」と呼ばれる幕で、繰り返し上演されてきました。世話場とは、「人情」を描く場面で、義太夫狂言では三段目か四段目に挿入されます。江戸の人々は「義理と人情の二項対立」の狭間で苦労しながら、人情に憧れ、「義理より人情」の思いを抱いて生きたのではないでしょうか。「石切」では、平家の武将梶原景時の源家に懸ける温かい人情、「葛の葉」では狐の母子の愛情に、21世紀の我々も共感を覚えます。日本人の伝統的精神風土に「人情好き」があることを自覚させられます。
かぶり付きのメリットで、今回の狂言で、歌舞伎の「芸の型」が何であるかを見ていただきました。「石切」で景時は銘刀の切れ味を証明するのに、石の手水鉢を真っ二つにしますが、これは「虚=ウソ」ですが、よく見ていると、景時は刀を振り下ろす前に、紫の袱紗を水に浸し、手水鉢の上に掛けました。これは、刀の刃こぼれや、滑りを防ぐためとの思い入れで「実な」、即ち科学的な所作です。近松門左衛門は、「芸は虚と実の被膜の間にあり」と言っています。歌舞伎の芸は、虚構と真実の微妙なバランスに存在すると言う事でしょう。 もう一つは、狐の化身の葛の葉が、真っ白な障子に「恋しくば尋ね来てみよ……」の和歌を書く所作です。子供を抱きながら、右手で、左手で、最後には口に筆を咥え墨痕鮮やかに書き上げます。よく見ると左右の手で書いた文字は、左右対称になっていました。演者の「芸」への精進、熟達と「型」の伝承に拍手喝采でした。
最後は幕末の江戸の正月風景を写す舞踊でしたが、ここでの人気は、四人の子役たちによる若衆の登場でした。尾上丑之助(菊之助)、同真秀(寺島しのぶ)、小川大晴(梅枝)、坂東亀三郎(彦三郎)の次の世代を担う三代目達です。彼等が名題を張る時代まで、歌舞伎が隆盛を保つことを願ってやみません。歌舞伎の世界にフランス人の血が入ったのもうれしいことです。
15名の参加を得て終演後、オペラシティの53階の「北海道」で懇親会を持ちました。これまで会場に恵まれず、懇親の実を十分に挙げられませんでしたが、今回は場所を得て、懇親の趣旨を改善できました。
次回は、6または7月の歌舞伎鑑賞教室観劇を予定しています。会場が変わります。多数の御参加を期待しております。